| 競馬法施行百年 三大馬祖を振り返る |
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1.ダーレーアラビアン 2.ゴドルフィンアラビアン 3.バイアリーターク 数多の競馬馬の祖先がこの三大馬祖だということは驚異的なことです。 父方の血統が極めて重視される競馬馬の世界。 貴族達の道楽だった意味が良くわかります。 ★★★★★★★★★★★★★★★ 1.ダーレーアラビアン
★ 90%以上もの占有率を誇る大父系 ダーレーアラビアンは推定1700年の生まれで、オスマン=トルコのアレッポ(現在のシリア北西部の都市)に駐在していたイギリス領事、トーマス・ダーレーがアラブの族長から買い取って、本国に送ったといわれています。 この父系はダーレーアラビアンから数えて5代目、エクリプス(1764年生まれ)によって活気づきました。 このためエクリプス系とも呼ばれ、現在、90%以上もの占有率を誇る大父系に発展しています。 エクリプスは6~7歳時に出走して単走を含み26戦全勝の成績を残しました。 その気性が極めて激しく、一度装鞍すれば、数日間そのままにしておかざるをえなかったといいます。 エクリプスの系統がすぐに勢力を伸ばしたわけでなく、19世紀のはじめまでは別系統のバイアリーターク系と互角でした。 その後勢力を広げるには1881年誕生のセントサイモンが大きな原動力となりました。 その系統として、ファラリス系、ブランドフォード系、ゲインズボロー系、ハイペリオン系、プリンスローズ系、ネアルコ系、ナスルーラ系、ノーザンダンサー系、リボー系、ロイヤルチャージャー系、ネイティヴダンサー系、ミスタープロスペクター系などが有名です。 中でも、20世紀半ばに登場したネアルコは、セントサイモン以上の規模で血統革命を巻きおこし、ダーレーアラビアン系の今日の圧倒的優位を不動のものにしました。 ★★★★★★★★★★★★★★★ 2.ゴドルフィンアラビアン
★ 1748年に生まれたマッチェムによって大きく発展 ゴドルフィンアラビアンは推定1724年生まれで、北アフリカのバーバリー(エジプト以外の北アフリカ回教地域)が生地といわれています。 数奇な運命をたどった馬で、後世に伝わったエピソードには事欠きません。モロッコ皇帝からフランスのルイ14世に献上されながら、その後、なぜかうらぶれてパリ市中で散水車をひく荷役をやっていたともいわれています。 現在、三大父系で圧倒的な優勢を誇っているダーレーアラビアン系(エクリプス系)の発展の足がかりをつくったエクリプスの母の父が、このゴドルフィンアラビアンなのです。 遺伝的には「サラブレッド最大の創始者」とされています。 ゴドルフィンアラビアンはとても気性の悪い馬でしたが、牧場にいた猫の「グリマルキン」だけには心を開いていたといいます。 彼の鼻先には、「グリマルキン=グレーヘアの猫」が描かれています。 この父系は父祖のゴドルフィンアラビアンから数えて3代目、1748年に生まれたマッチェムによって大きく発展しました。 そのためマッチェム系と呼ばれますが、マッチェム自身はエクリプスのような偉大な競走馬でなく、種牡馬として期待されていませんでした。 しかし、産駒は優れた競走馬や種牡馬が相次ぎ、とくにコンダクターがトランペッターを世に出して、現在までの流れをつくりました。 ★★★★★★★★★★★★★★★ 3.バイアリーターク
★ ヘロドによって発展したバイアリーターク系 バイアリータークは推定1680年の生まれで、イギリスがハンガリーでトルコと戦争したとき、ロバート・バイアリー大尉が捕獲し、この馬名がつけられました。 その後、大尉はこの馬で武勲を立てたといいます。 もっとも、種牡馬としては優秀でなく、すぐに消えてしまいそうな父系でしたが、バイアリータークから数えて5代目、ヘロドの活躍によって消滅を免れたのです。 ヘロドはエクリプスと同じカンバーランド公の生産馬で、1758年に生まれ、22歳まで生きました。 前肢が弱く、ほかにも故障があって特記すべき競走成績はありません。 しかし種牡馬となったヘロドは、一時期、エクリプスと並び称されるほどの立派な成績をあげました。 ヘロドによって発展したバイアリーターク系は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。 しかし、これだけの繁栄がまるで幻であったかのように、19世紀後半になると急速に衰退していきます。 アメリカが誇るレキシントンの系統も、後継が育たずあっさりと消滅、ヨーロッパも同様で一時は絶滅の危機にすら落ち込むことになります。 ヨーロッパではリュティエの系統、ロレンツァチオの系統が残っていますが、大きな復活の兆しはありません。 ザテトラーク系にいたっては、ほぼ消滅状態となっています。 ★★★★★★★★★★★★★★★ | ||