| マダガスカルに因んだ二冊の書籍「東方見聞録」&「風の帝国」 |
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インド洋を取り巻く島々にとって、気象の要となるのが「風」と「海流」です。 「マダガスカル」の気象を見る前に、二冊の書籍をご紹介致します。 「東方見聞録」と「風の帝国」です。そして「ヌサンタラ」という概念です。 「東方見聞録」=「マダガスカル」に関する記載箇所
★★★★★★★★★★★★★★★ 国名「マダガスカル」には「他称=人呼んで~」と「自称」とが有ります。 他称=「マダガスカル」は「Madagaskar」。 これは、13世紀のマルコ・ポーロの「東方見聞録」の記述に由来する、と言われています。 「東方見聞録」の抜粋記事には「マディガスカル」としていますが、「Madageiscar」とも言われています。 彼は、この記述を伝え聞いたに過ぎませんが、その際耳にした現在のソマリアの首都である港町「モガディシュ=Mogadishu」 を書き写す際に間違えた、と言われています。また、「港」を「島」と思っていたらしいです。 従って、この記述は「マダガスカル」のことではありません。 「マダガスカル」の自称は、「Madagasikara」です。 また、マダガスカル語で「先祖の土地」を意味する「tanin-drazana=タニンヂャザナ」は美称として好んで用いられています。 ただし、自称「マダガスカル語=マラガシ語」=「Malagasy」となり、「Madagasikara」との関連がありません。 「Malagasy」の名前の由来はどこからか? 「マダガスカル人 」が含まれるマレー・ポリネシア語族「Malayo-Polynesian languages」と関連すると思われます。 (この名称は、「台湾原住民諸語との類縁性」が証明されたことで、現在は、オーストロネシア語族とされています。) ★★★ 「台湾原住民諸語との類縁性」に関しては別途、ご紹介します。★★★ 同じ語族に属するフィリピン:タガログ語では「Malayo=遠く」、サモア語では「Malag=旅行」です。 ですから「Malagasy=祖語Malayoを話す民」という意味かと思います。 ★02「風の帝国」 ⇒ 「ヌサンタラ」 英国のジャーナリスト、歴史家に「フィリップ・ボウリング= Philip Bowring」がいます。 彼は、第4代香港総督となった英国の政治経済学者、旅行家、翻訳家、政治家=サー・ジョン・ボウリングの係累です。 彼にはオーストロネシア人に関しての著作「風の帝国」があります。 Empire-of-the-winds(320頁以降に写真があります。)
Millenia of maritime mastery: Philip Bowring’s ‘Empire of the Winds’ 彼がこの書籍で、一般の読者に伝えようとしたのは、アジアからインド洋を越えて地中海へと続く、何千年もの間発展した海洋貿易網での海上貿易従事者のダイナミックな役割です。
「オーストロネシア人」の居住地は、東南アジアの大部分を占め、範囲はマダガスカルからイースター島とハワイまで広がっています。 彼らは多様ですが、文化的および言語的に関連する人々です。 ただし、彼は、「オーストロネシア人」という用語と、これを構成する多様な集団の存在が一般にはほとんど認識されていないとして、この点を本書で明らかにしたい、としています。
「オーストロネシア人」は、現代のインドネシア、マレーシア、フィリピンの人口のほとんどを占めており、何百もの異なるが関連する言語を話します。インドシナ、ビルマ、タイ、台湾にも少数派のオーストロネシア人がいます。 ただ、東南アジア本土のタイ人、カンボジア人、ラオス人、ベトナム人、ビルマ人はオーストロネシア人ではなく、オーストロネシア人の深い遺産を最も定義する船乗り社会でもありません。 したがって、混乱を避けるために、ボウリングは、東南アジアの島々や海岸にあるオーストロネシア人の故郷を表すために、新しい用語である「ヌサンタリア」を作り出しました。 この用語は、サンスクリット語由来のマレー語―インドネシア語のヌサンタラ(「間の島々」)に由来しています。 中国と東南アジアから「オーストラレーシア」に向かって広がる群島を指します。 (英語では、「マレー諸島」で約150年前に出版されたアルフレッド・ラッセル・ウォレスの壮大な最高傑作の題名でした。)
この「ヌサンタリア」の概念は、重要な海上貿易の中心地に焦点を合わせています。 しかし「オーストロネシア人」の一部は、ミクロネシア、ポリネシア、マダガスカルなど遠く離れて航海したため、最終的には先祖代々のネットワークとの接触を失いました。 ヌサンタル社会の主な特徴とは、アウトリガー、独自の前後に張る帆での走向、船体建設技術など、独創的な船舶技術による航行の習得で、アラブ、ペルシャ、インド、中国、(ずっと後にヨーロッパの船)とは一線を画していました。このことが過去4~5千年にわたって海域を東南アジアに拡大し、居住地域を拡げることが出来た理由でした。 ヌサンタリアン社会の他の元々の特徴には、先祖代々のカルトとシャーマニズム、そして女性の独立性と高い地位が含まれていました。 ヌサンタリアの島々は、古代から、最も稀少で最も高価なスパイス(クローブ、ナツメグ、メイス)を含む主要な貿易商品を自国の外航船で輸出していました。しかし、もっと重要なことは、これらの母国海域は、東アジアとインド洋の間のすべての広範な海上貿易の交差点だったことです。 これらの海域を支配することで、スマトラ、ジャワ、マラヤ、およびそれらの地域その他の場所で、多様な貿易市場、商人集団、王国、帝国が台頭しました。ボウリングは、陶磁器、金属、宝石、絹、その他の織物、香辛料、林産物、奴隷を交換する国際的な貿易の世界を鮮やかに描いています。 彼は書いています。 「10世紀頃あるペルシャ人がアラビア語で次のように書いている。『パレンバン(スリヴィジャヤ帝国のスマトラの中心地)のオウム(鸚鵡)がアラビア語、ペルシャ語、ギリシャ語を含む多くの言語を話すことができることに気づきました。』」と。 これらの多言語のオウムは確かに、マラッカ海峡の両岸で話されていたオーストロネシア語であるマレー語も話していたのでしょう。 それは千年以上前にこの地域の船員と貿易業者の共通語になり、現代のインドネシアの国語の基礎となっています。 ヒンドゥー教、仏教、イスラム教の主要な宗教はインド洋からこの地域に入り、海上貿易によって平和的に広がり、影響力と名声を通じて採用されました。ヌサンタル社会は、ヌサンタリアを変革したのと同じくらい、これらの宗教を変革しました。 その後、ヨーロッパとキリスト教の侵略は、「スパイス諸島」の素晴らしい富に魅了され、攻撃的な新参者の優れた砲術によって有利に、17世紀前により強制的に始まりました。 この時代は、最終的にヌサンタル人の運命の深刻な影を落とし、植民地後も複数国家に断片化されたことから、共通のアイデンティティの喪失となりました。 でも、彼は、数世紀にわたるヨーロッパの活動が破壊的であったものの、影響を誇張する必要はない、という貴重な指摘しています。 そして彼は、かつて、インド洋に吹く偏西風、季節風を巧に使い分け、「風の帝国」を築き上げた「環インド洋島嶼連合=ヌサンタラ」に希望を見いだしています。 ★★★★★★★★★★★★★★★ ★03「ヌサンタラ」 インドネシアでは今年一月に、議会で首都移転のために法案が可決されました。 その背景には、現在の首都ジャカルタがあまりに混雑していること、大地震の懸念があること、などがあります。 新たな首都の名前こそが「ヌサンタラ」です。 およそ1万7千もの島々で形成される世界最大の島嶼国・インドネシアを象徴する「群島」という意味です。 「ヌサンタラ」になる場所はジャカルタからおよそ2千キロ離れた、カリマンタン島の東部で、インドネシアのほぼ中央に位置します。
マダガスカルでも「ヌサンタラ」の考え方を唱える方もいます。 以下をクリックし、日本語翻訳するとご覧になれます。 Madagascar and the Future of the Nusantarian World
By Andriantefinanahary & Yanariak
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