印象派黎明期:28歳で夭折した麒麟児:バジールと仲間達             

バジールは、南仏モンペリエの裕福な家庭に生まれました。

そして21歳頃、パリに出て絵画の勉強をするため、シャルル・グレールの画塾に入りました。

そこで、モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌといった仲間と知り合いました。

彼らは、当時の規範であったアカデミズム絵画に飽き足らず、戸外制作などを通じた新しい絵画を目指して交友を深め、年長のマネのアトリエがある村の名前に因み、バティニョール派と呼ばれるようになりました。

経済的余裕のあったバジールは、仲間の絵を買ったり、自分の借りたアトリエを使わせたりして、仲間を支援しました。

しかし1870年7月19日、普仏戦争が勃発すると、バジールは8月10日、志願入隊し、1870年11月28日にオルレアン近郊のボーヌ=ラ=ロランドの戦いで戦死しました。

弱冠28歳でした。

8年足らずのバジールの作品を見るにつけ、もし戦死を免れていたなら、更に多くの素晴らしい作品を残しただろうと、惜しまれる存在です。

彼の仲間達は、バジールの死後4年後の1874年に展覧会を開き、これが後に第1回印象派展と呼ばれるようになりました。




フレデリック・バジールのパリ市での画家活動の拠点となったアトリエ、スタジオは次の通りです。


1.1864年:最初のアトリエ

2.1865年:フュルステムベルク通りのアトリエ

3.1866年:ヴィスコンティ通りのアトリエ

4.1868年:ラ・コンダミーヌ通りのスタジオ

5.1870年:ボザール通りにあるアンリ・ファンタン=ラトゥールのアトリエ



★3.1866年:ヴィスコンティ通りのアトリエ



★4.1870年:パリのオルセー美術館所蔵:ラ・コンダミーヌ通りのスタジオ:壁、画架、壁に掛けられたバジールの作品
『網を持つ漁師』1868年。油彩、キャンバス、134 × 83 cm。財団蔵(チューリッヒ)。1869年サロン落選。 Bazille-La vue de village.JPG Bazille, Frédéric ~ La Toilette, 1869-70, Oil on canvas Musee Fabre, Montpelier.jpg
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          Frédéric Bazille - Bazille's Studio - Google Art Project.jpg
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1.ルノワール:ピエール・オーギュスト・ルノアール
2.モネ:クロード・モネ
3.アストリュク:ザカリー・アストリュク:画家&美術批評家
4.マネ:エドゥアール・マネ
5.バジール:フレデリック・バジール
6.メートル:エドモン・メートル:音楽家



5.バジールが描いている「自画像」  5.バジールが描いている「アオサギ」の絵 


1⇒5.ルノワールが描いた「サギを描くバジール」 5⇒1.バジールが描いた「ルノワールの肖像」
Pierre-Auguste Renoir - Frédéric Bazille.jpg

5⇒2.バジールが描いた「病床のモネ」     5⇒6.バジールが描いた「エドモン・メートルの肖像」
『エドモン・メートルの肖像』1869年。油彩、キャンバス、83 × 64.2 cm。ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)[51]。



★5.1870年:アンリ・ファンタン=ラトゥール『バティニョールのアトリエ(マネのアトリエ)』
Henri Fantin-Latour - A Studio at Les Batignolles - Google Art Project.jpg

後ろに立つのは、左からショルデラー(36)、ルノワール(29)、ゾラ(30)、メートル(30)、バジール(28)、モネ(29)。

絵筆を持つマネ(38)が画家・美術評論家のアストリュク(37)を描く画架を、若手画家や作家が囲んでいる。

Zacharie Astruc.JPG

バジールは左端の長身の人物。モネ「草上の昼食」部分:部分」「草上の昼食(習作)」

マネの「草上の昼食」にインスピレーションを受けて描かれた作品である。
Claude Monet - Le dejeurner sur l'herbe (left panel).jpg Claude Monet - Le dejeuner sur l’herbe.JPG

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