チュマシュ族の祖先は、日本の縄文人だった?          



インディアンの祖先は、日本の縄文人だった?

縄文人(Jomon)は、紀元前16000から3000年前の時代に、北海道から沖縄にかけて生活していた人々です。

1996年、米国ワシントン州のコロンビア川の河畔で、9300年以上前の人骨が発見されました。(ケネウィック人,Kennewick man)

その人骨の特徴は、日本のアイヌ人ととても似ていました。(ジョセフ・パウエル ニューメキシコ大学教授)(「Kennewick Man: The Scientific Investigation of an Ancient American Skeleton」)

米国オレゴン州のペイズリー洞窟(Paisley Five Mile Point Caves)で、14,500年前に生きた人間の糞が発見されました。

これは、現在、北米大陸と南米大陸で発見された、最古の人の糞となります。

縄文人はどのようにして日本から米国に渡ったのでしょうか?

北海道の根室から千島列島に沿って北上して、カムチャッカ半島に到着。そこからシベリア沿岸に沿って北上して、ベーリング海峡を渡りアラスカに到着。その後陸路で北米大陸を南下していった、という説があります。

実際にこのルートを、1999年から2000年にかけてシーカヤックを使って航海した人がいます。

この航海の途中、大きな波が襲い何度も転覆しました。海上に9日間の滞在したこともありましたが、島つたいにわたり、ついに、アラスカ州のセントローセンス港までたどり着きました。 (「縄文人は太平洋を渡ったか」(In the Wake of the JOMON) ジョン・ターク氏(Jon Turk))

シーカヤックに比べれば、何倍も重い重量の丸木船(一本の丸太をくりぬいた船)を使って縄文人たちは航海していきました。

なぜ、危険をおかしてまで移動したのでしょうか?

日本には、豊富な海洋植物があり、住まいにも困っていなければ、わざわざ危険を冒してまで、海を渡る動機がないのではないかと思うかも知れません。

縄文時代の遺跡からは、物を削ったり加工したりするための石器は出土しています。

しかし、石槍など打製石器が出土していますが、人間を殺すことができるような大きさのものではありません。

縄文時代の遺跡からは、人を殺すことを目的にしたような武器は見つかっていないのです。

よって、縄文時代は、人間同士が殺しあうような殺戮の時代ではなく、平和に暮らしていた時代といわれています。

たとえ殺し合いがなく、食料や住まいなど生活に困っていなくても、あるとき、冒険心にかられて、危険をおかしてまで移動したくなることがあります。

縄文人は、そのような衝動にかられて海を渡ったのではないでしょうか?

米国カルフォルニア州のチャンネル諸島(Channel Islands)からは、多くの石器が出土しています。

その中で、約15000年前に作られた有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)と呼ばれる石槍(いしやり)と、日本の縄文時代に作られた石槍が全く瓜二つでした。

千島列島からベーリング海峡、北米大陸の太平洋沿岸には、海草のケルプがたくさん生い茂る海域です。

縄文人たちは、そのケルプが生い茂る海域を丸太船を使ってわたってきたのでしょうか?

あるいは、氷河期(18000年前)には、この海域は陸続きで、歩いて渡ってきたのかもしれません。

日本とカリフォルニア沿岸の海産物の90%に共通点があるといわれます。 (ジョン・アーランドソン(Jon M. Erlandson) オレゴン大学自然・文化史博物館教授)

主に海産物を食べていた縄文人たちにとっても、米国大陸沿岸は住みやすい土地だったのでしょう。

米国先住民のDNAをしらべると、その起源はシベリアに住んでいた人々であると言われます。

縄文人が北上して海(陸?)を渡り、シベリアの人々と交わり、そこから北米大陸を南下していったかもしれません。

そうすると、シベリアに住んでいた人々の中にも、日本から移動してきた縄文人たちがいた、といえるかもしれません。

今から10000年以上も昔、縄文時代の石器が、北米と南米にて出土している事実から、縄文人が太平洋を渡り移動していたということが十分推測されます。

そんなこと無理だろう、GPSもない時代に数千キロの航海などできるはずがない、と思うかもしれません。

しかし、陸続きであったら、徒歩での移動は可能となりますし、海草で生い茂っていた浅瀬でつながっていたのなら、丸木船での移動も可能となります。

インディアンなど米国先住民の祖先たちは、実は日本から移動してきていたとなると、親近感も増します。

これからも、DNAや考古学的な発見によって、今までの常識が覆るような歴史がつくられていくことでしょう。



参考

「 Pacifid 」

カナダと米国の太平洋州に固有のネイティブアメリカンタイプ。

ほとんどの結果は、アジアからの旧石器時代後期と新石器時代の移住を形成します。

やや背が高く、頑丈な体、短い脚と長い腕、短い頭蓋骨と低い頭蓋骨、広く角張った顔、目立つ鼻、モンゴルのひだはまれ、口は広く、顎とあごは大きく、唇は薄く、比較的強い毛状の成長、黄色がかった薄茶色の肌。

最も典型的な品種である「 Pacifid 」(固有)は、ワカシャン語とサリシャン語の話者の間で南アラスカからオレゴンまで見られます。

カリフォルニアでは、顔が長く、特徴が柔らかく、肌の色が濃いカリフォルニア「 Pacifid 」の品種が見られます。

「 Pacifid 」はまた、より混合されたアサバスキッドとアリゾノイドの品種の形成にも役割を果たしました。

ヨーロッパの植民地化は人口を減少させましたが、接触がはるかに早く始まった東海岸の先住民グループよりも少なかったです。



インディアンの祖先は縄文人だった?

 

チュマシュ族:Chumashan

 

アメリカ大陸 最初の人類:ジョン・アーランドソン

 

The Kelp Highway:ジョン・アーランドソン

 

ジョン・アーランドソン:端での生活:北アメリカの太平洋岸の初期の海洋文化

 

Channelislandsca.jpg


ジャイアント・ケルプ(昆布= macrocystis )の自生地域との関連は如何に??? 

次回乞うご期待 

Kelp forest distribution map.png

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