太陰暦と太陽暦           


「冬至」=「クリスマス」=「新年」という関係を「暦」との関連で見ていきます。

1.太陰暦と太陽暦
2.太陰暦
3.太陽暦
4.冬至前後を新年とする考え方
5.閏年による調整
6.未だ残る太陰暦
7.冬至の日を「イエスの誕生日」とした根拠
8.1月1日の位置づけ



1.太陰暦と太陽暦

「今日は何月何日か?」これを決めているのが「 暦 」です。
「 暦 」には、太陰暦と太陽暦の二種類があります。
太陰暦は、「 夜 」の月の満ち欠けを基準としたもので、「月と地球との関係」です。
太陽暦は、「 昼 」の太陽の高さを基準としたもので、「太陽と地球との関係」です。

2.太陰暦

私達は太陽暦に馴染んでいますが、世界には太陰暦を使っている地域もあります。
月の満ち欠けは、地球に対する月の公転周期に関連しており、一月は29日余りです。(2015年時点では、29.530589日)
1太陰年は、29.530589日×12 = 354.36707日です。それでは太陽暦の一年にならないため、閏月入れて13ヶ月とし、季節のずれを調整するのが、太陰太陽暦です。
また、季節のずれを調整しない純粋太陰暦があります。
「太陰暦」と言った場合に、日本や中国などの東アジアでは太陰太陽暦を、イスラム圏では純粋太陰暦を指します。

3.太陽暦

太陽暦は、「 昼 」の太陽の高さ=日照時間の長さを基準としています。
冬至は、「 昼 」の太陽の高さが最も低く、=日照時間が最も短い日です。
先史時代以来、冬至は多くの文化で重要視され、祭りや儀式で特徴付けられてきました。
そうです。太陽に象徴的な死が訪れた冬至以降、再び太陽が復活します。
ストーンヘンジなどの遺跡も、先史人が太陽の位置に注目していたことを示しています。
古代ローマでも、北欧でも、冬至祭は祝われていました。
紀元後、ローマ帝国全体にキリスト教が広がり始めた頃、土着の宗教として根強かったのがミトラ教です。
ミトラ教は、太陽神ミトラを崇拝し、冬至は、弱まって死んだミトラ神が力を取り戻し再び地上に生まれてくる日とされ、「不滅の太陽の誕生日」と呼ばれる祭が行われました。

四世紀頃のローマ帝国は最盛期の勢力を失い、分裂の時代へと向かっている中で、 ミトラ教徒、北欧の民など、冬至祭の土着文化を持つ地域の民族・宗教も皆一緒に統合したいという思惑もありました。 そこで、ローマ・カトリック教会では325年のニケア公会議で、冬至の日を「イエスの誕生日」と決定しました。

因みに、ニケア公会議での議論の主題は「イエスキリストは神なのか人なのか?」でした。
コンスタンティヌス帝は「イエスは神であり神と精霊とイエスは同一の存在である」という三位一体説を主張したアタナシウスを支持し、「イエスは神である」としました。
他方「イエスは神ではなく人間であり、預言者として神の言葉を伝えた者だ」とのアリウスの主張は退けられました。
その根拠は、「イエスが人なら、復活はしない。でも、復活している。」というものです。

4.冬至前後を新年とする考え方

世界最初の暦は、メソポタミア文明を担ったシュメール人が作った、と言われています。
その暦では、太陽は徐々に高くなり、日が長くなることから、冬至の時期が一年の始まりとされ、冬至前後の十二日間に新年の祭が開催されました。(太陽暦)
冬至前後に新年の祭を行うことは、バビロニアやペルシアの文明にも引き継がれました。(太陰太陽暦)

古代エジプトでの「エジプト暦」は、1年を12ヶ月、1ヶ月を30日、1年を360日とするものでしたが、紀元前20世紀頃から1年が365日となり、最後に5日の余日を付加する太陽暦法でした。
また、農業や生活に重大な影響を与えるナイル川の氾濫を知る手掛かりとして、「シリウス(おおいぬ座α(アルファ)星)が日の出の直前に東天に昇る時期を知る必要があるため、既に1年が365.25日だと知っていましたが、一部の暦に反映されただけでした。

中国でも、周代では冬至の日を新年とし、子月を1月としていました。
しかし、漢代に王朝が変わると夏暦が使用され、正月が立春に移動し、寅月を1月とする夏暦が二千年以上も続きました。

5.閏年による調整

古代エジプトの「1年=365.25日」の考え方を正式に「暦」に取り入れたのが紀元前46年に古代ローマで採用された「ユリウス暦」です。
この暦は、四年に一回を閏年とするもの(「置閏法」)で、従来の「1年= 365日」と比較して大きな進歩だったと言えます。

しかし、「ユリウス暦」も1500年以上に亘って使われていくうちに、次第に暦と天文学上の現象にずれが生じてきました。
前述の325年のニケア公会議で、春分を3月21日と定め、それを基に復活祭の日付を決めることにしていました。
基準となるべき天文学上の春分の日が、16世紀には暦の上で3月11日となってしまい、問題視されるようになりました。
「ユリウス暦」では「1年=365.25日」ですが、実際には「1年=365.2425日」です。

こんな風に考えてみました。
横断歩道を、若者が大股で歩いて行きます。これが「ユリウス暦」の「1年=365.25日」の歩幅です。
子供、シニアが、小股で歩いて行きます。これが「ユリウス暦」の「1年=365.2425日」の歩幅です。
横断歩道を渡りきるまでの歩数を比較すると、若者の歩数は子供、シニアの歩数より少なくなります。
ですから「ユリウス暦」で、春分の日の日付は十日以上も遅れてしまうこととなりました。

そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じて、1582年から使われるようになったのが、現行の「グレゴリオ暦」です。

「グレゴリオ暦」では、「ユリウス暦」の「置閏法」の適用を100で割り切れる年に関して修正しています。
400年間には、100で割り切れる年は4回あります。でも、400で割り切れる年は1回だけで、残りの3回は割り切れません。
そこで「グレゴリオ暦」では、従来なら閏年になるはずの残り3回分の年を平年とすることで修正しています。

「グレゴリオ暦」は現在では多くの国で使われています。
中国では、1911年の辛亥革命後、翌年の中華民国の成立時には太陽暦が正式採用となり、元旦は新暦の1月1日へ移動し、旧暦1月1日は「春節」とされ現在に至っています。
日本でも、1873年(明治6年)から天保暦に変わる「新暦」として「グレゴリオ暦」が施行され、現在に至っています。

6.未だ残る太陰暦

前述したニケア公会議で議論されたキリストの復活を祝う復活祭の日取り決定には、太陰暦が使われています。
「復活祭」は、十字架にかけられて亡くなったイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶するキリスト教においては最も重要とされる祭です。
その日取りは「春分の次の満月後の最初の日曜日」で、満月の動向に左右されます。
例えば、 満月と日曜日が一致した場合は、その次の日曜日が復活祭となり、また、春分の日当日が満月で日曜日ならば、次の満月に続く日曜日まで待たねばなりません。

7.冬至の日を「イエスの誕生日」とした根拠

「イエスの誕生日」の日付は、聖書には記されていません。
12月25日をイエス・キリストの降誕とする最も古い記録は、354年のローマの『年代記』に出てきます。
「12月25日、ユダヤのベツレヘムでキリストが生まれる」という記述です。
12月25日をイエス・キリストの降誕と定めた経緯に関し、いくつかの仮説があります。

A.計算上の仮説は、イエスの受難の日とマリアへの受胎の日が同じ日であったと考えた上で、その日を3月25日であったとするものです。
これに基づいて、受胎の日から9か月後の12月25日にイエスが生まれたとしています。

B.  宗教史による仮説は、異教の祭りをキリスト教化したとする立場です。
ローマ皇帝アウレリアヌスは274年に、ローマ暦の冬至に当たる12月25日に不滅の太陽神の誕生日(dies natalis solis invicti)を祝う異教の祭りを導入しました。
4世紀初めにキリスト教がローマ帝国で公認されました。 教会はこの日を、「正義の太陽」(旧約聖書マラキ3・20)であり「世の光」(新約聖書ヨハネ8・12)であるキリストの誕生を祝う日と定めたというものです。

8.1月1日の位置づけ

1月1日は、「神の母聖マリアの日」として祝われています。
聖マリアを「神の母」とするか。「キリストの母」とするかにつき、議論がありましたが、 エフェソ公会議(431年)でマリアを「神の母」と宣言してからは、マリアへの崇敬は一層盛んになりました。

当初、古代ローマでは1月1日に新年を祝う祭りが行われ、人々は大騒ぎをしていました。
これに対して、教会は、キリスト者にこうした習慣に誘惑されるのではなく悔い改めを呼びかけ、6~7世紀には新年の3日間を回心や断食の日とするように定めました。
そしてローマでは、マリアを熱心に崇敬するコンスタンチノープルの教会の影響を受けて、1月1日に神の母マリアの記念を行うようになりました。

一方ガリアやスペインの教会では、6世紀頃から、1月1日にイエスの割礼と命名を祝ってきました。これは 「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。」(新約聖書ルカ2・21)に基づいています。
この祝いは13~14世紀にローマに伝わり、第2バチカン公会議(1962年~1965年)以前の典礼暦では1月1日を「主の割礼と降誕の八日目」と呼んでいました。

1969年の典礼暦の改定では、ローマ教会の伝統に立ち返って、「神の母聖マリア」という名称とともに、主の降誕の8日目としても記念すると同時に、救い主の誕生の秘義においてマリアが果たした役割を思い起こす日と位置づけています。
また、全世界のカトリック教会では1月1日を「世界平和の日」とし、世界の平和のために祈る日としています。


[ 暦の上で、今日はいつ? ]

[ カトリック中央協議会:教会公文書の降誕節に関連する箇所
「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」 ]


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