粉ひき臼の神の喩え         

臼は、製粉や脱稃に使う道具です。

トウモロコシ、麦や米など、人類の主食の穀物を調理する際、粒のまま食べるか、粉にしてパンなどに加工する粉食文化があります。

世界の大部分は粉食文化圏で、臼は粉食において必須の道具であり、その歴史も古代文明に遡ります。

挽き臼は主に石製で、二つの石などを摺り合わせ、籾殻のままの穀物を粉砕する道具です。

茶道でも、お茶を挽くために挽き臼を使いますが、円形の下臼の上で上臼を回転させ、上臼の穴から入れたお茶を砕きます。


このように身近な道具であるため、昔から様々な形で、喩え話で使われることが多いです。

ギリシャ時代に、既に次のように言われていました。

「Ὀψὲ θεῶν ἀλέουσι μύλοι, ἀλέουσι δὲ λεπτά.」

「神々の石臼は遅く挽くが、細かく挽く。」
つまり、善いことも悪いことも、神々は隈なく見ており、直ぐではなくとも必ず恩寵や報復がある、という意味です。

アーサー・コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、サマセット・モームなどの小説家、ウィンストン・チャーチル、フランクリン・ルーズベルトなどの政治家も使った表現です。

サマセット・モームは「月と6ペンス(1919年)」の最後の部分で、以下のフレーズを使っています。

「"The mills of God grind slowly, but they grind exceeding small," he said, somewhat impressively."

『神の製粉所はゆっくりと挽きますが,小さくても挽いています。』と、幾分印象的に言いました。」


ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニーは、著書『大転換―市場社会の形成と崩壊』(1944年)のなかで、「市場経済」を「悪魔の挽き臼」に喩えています。

市場経済とは、市場機能(需要と供給)を通じて需給調節と価格調節が行われ、財・サービスの取引が自由に行われる経済のことです。

市場主義経済、自由主義経済などと呼ばれることもあります。
ちなみに対立概念は、計画経済です。

政治形態での「民主主義=民=複数」と「独裁主義=独=単数」との比較に類似している気がします。


松岡正剛の千夜千冊:1285夜に次の記述があります。(詳細は添付サイトをご参照)

「経済人類学を提唱をしたカール・ポランニー(151夜)が、資本主義経済を「悪魔の挽き臼」だと譬えたことは有名である。

ポランニーが『大転換』のなかで「悪魔の挽き臼」と名指ししたのは、近代になって市場経済が資本主義に包みこまれていくことになったとき、交易の対象になるべきではないものまで「価格」をつけたことに対してだった。

 一言でいえば、「労働」と「土地」と「貨幣」に価格をつけた。これが資本主義を「悪魔の挽き臼」とし、その後の市場経済をおかしくさせた原因だというのだ。

これらは価格取引の対象にしてはいけない“禁断の商品”だったのである。

仮に土地や労働に不動産価格や賃金などの価格がついたとしても、それを市場で取引するようになったため、そこに根本的な矛盾が引きおこされたのだと見た。」

「こういうふうになったのは産業革命以降のことだとポランニーは考えた。

18世紀のイギリスでは、ロンドンやリバプールやマンチェスターで技術革新と近代工業が生まれたわけだが、それは農村部から多くの労働者を導入することによって成り立った。

かれらはエンクロージャー(土地の囲い込み)によって土地を奪われ、そのかわり身ひとつで近代工場になだれこんでくる。

土地を離れた労働者は現金収入によって生活をする非熟練労働者になっていく。

チャールズ・ディケンズ(407夜)が描いた『オリヴァー・ツイスト』はその赤裸々な姿だった。

 これはその後の産業社会の基本となっていった“原図”である。

今日のビジネス社会もサラリーマン社会も、すべてこの“原図”の上に乗っている。

しかしポランニーは、このような産業社会の成立こそが悪しき「大転換」(great transformation)だとみなしたのである。

ポランニーはそこからつねに「失業」と「貧困」がおこると考えた。

社会はそれに苦悩するとかんがえた。

 こうしたポランニーの考え方には、商品というものは、『価格がついて売れたときには、それと同じものが商品として再生産されるべきだ』という原則がある。

 労働や土地にはそのような同一性や同様性がない。

人生は一回きりの時間なのであって、再生産は不可能であり、土地も売れるからといってその一回性をリピートできるものではない。」

[ 松岡正剛の千夜千冊:1285夜:資本主義はなぜ自壊したのか
「日本」再生への提言:中谷巌:集英社インターナショナル 2008 ]



日本の昔話にも、挽き臼の比喩え話があります。



「盆過や 粉ひき臼にも 風のたつ / 道彦」

「ひえしきす あじはさっぱり ひきうすへ」

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