数え年と満年齢 「真年齢の勧め」            


1.韓国での年齢制度の問題

大韓民国の尹錫悦大統領が就任してかれこれ四ヶ月が経ちました。
色々な問題を抱えている中で、韓国で解決が急がれている問題は「数え年」問題です。
現在、人の年齢を示す際に、「数え年」が一般的に用いられるのは韓国だけです。

法律上の規定では 私達に馴染のある「満年齢」は生まれた時点の年齢を0歳とし、以後誕生日の前日の24時に1歳を加算します。 これに対し、数え年は、生まれた時点の年齢を1歳とし、以後元日が来るごとに1歳を加算します。

「年」は「歳」に通じ、元日には、韓国国民が一斉に歳を加えることになります。
日本・中国・朝鮮半島・ベトナムの東アジア諸国では古くは満年齢は使われず、数え年が使われてきました。
しかし、多くの国で満年齢に切り替わっていきました。

現在、人の年齢を示す際に、「数え年」が一般的に用いられるのは韓国だけです。
しかも、現在、韓国には、三つの歳の数え方があります。

「満年齢」=生まれた時点の年齢を0歳とし、以後誕生日が来るごとに1歳を加算します。
「数え年」=生まれた時点の年齢を1歳とし、以後元日が来るごとに1歳を加算します。
「年年齢」=生まれた時点の年齢を0歳とし、以後元日が来るごとに1歳を加算します。



韓国でも、民法上は「満年齢」を使っています。 しかし、このように現在三つの歳の数え方があることで、年齢計算の混乱が続いている状況です。
そこで、新大統領は「満で数える年齢制度統一」を公言してきており、年内に改正案が国会提出される見通しです。

「数え年」を使うと、実際年齢との差異が著しくなることがあります。 極端な話で、12月31日に生れた新生児は、翌日の1月1日には二歳児となることもあります。
「満年齢」を採用している日本でも、「学齢」に差が出ることがあります。 同じ年の生まれでも、4月1日までの早生まれの子は、4月2日以降の遅生まれの子よりも学年が一つ上になってしまい、 同じ学年の大きな子の中で小さい思いをすることになります。 ましてや、二歳の年の差は極めて問題です。

2.「数え年」による年齢制度の背景

「数え年」のことを、中国語では虚歳といいます。(満年齢は週歳・実歳・足歳)。
虚歳と実歳の存在は、旧暦と新暦に由来するともいわれ、中国的な人生観の重層を示唆するともいわれています。

「数え年」=生まれた時点の年齢を1歳とし、以後元日が来るごとに1歳を加算します。
このように数える理由を見ていきます。

A.生まれた時点の年齢を1歳とする理由
中国では、古代から「ゼロ」の概念が存在しません。(「ゼロ」の発見はインドでした。)
ですから、ものの始まりは総て「1」からです。

B1.元日が来るごとに1歳を加算する理由
年齢処理の簡便化のためです。
個々人の誕生日ではなく、元日に全員の年齢に1歳を加算する方が容易だからです。
誕生日が閏年の該当日の場合、暦の上で誕生日がない場合でも不便にならない。
(太陽暦では、このような場合に備えて、誕生日の前日の24時に1歳を加算します。)

3.日本におけるグレゴリオ暦(太陽暦)の導入

日本では、明治5年まで、太陰太陽暦である天保暦を使っていました。
しかし、1873年(明治6年)から「新暦」として「グレゴリオ暦(太陽暦)」が施行され、現在に至っています。

それと同時に、年齢の数え方も、公式には新暦に基づき満年齢で何年何月と数えることとしました。 但し、旧暦も併用が許され、数え年の使用も認めるというものでした。

改暦の布告は年も押し迫った明治5年11月9日(グレゴリオ暦1872年12月9日)に公布、 明治5年12月2日(1872年12月31日)に太陰太陽暦(天保暦)を廃止し、翌日の明治5年12月3日をグレゴリオ暦明治6年1月1日(1873年1月1日とする、性急なものでした。

これほど急な新暦導入が行われた理由に、明治政府の財政状況の逼迫が挙げられます。

当時の参議、大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば次のような理由が有りました。
旧暦のままでは明治6年は閏月があるため、13か月となります。そうすると、当時支払いが月給制に移行したばかりの官吏への報酬を、1年間に13回支給しなければなりません。
これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり、12か月分の支給で済みます。
また、明治5年12月は2日しかないことを理由に支給を免れ、結局月給の支給は11か月分で済ますことが出来るのでした。

従来の条件付きでの満年齢と数え年との併存が改められ、満年齢のみとなったのは、公式の年齢の数え方を定めた明治35年(1902年)の「年齢計算ニ関スル法律」からです。

それでもなお民間では数え年を使う「ならわし」が残っていたことから、その「ならわし」を改めるように定めたのが昭和25年(1950年)の「年齢のとなえ方に関する法律」です。

その内容は以下の通りです。
国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。
但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。

同法制定の理由は、当時の国会議事録によると以下の4点です。
a.「若返る」ことで日本人の気持ちを明るくさせる効果
b.正確な出生届の促進
c.国際性向上
d.配給における不合理の解消

本来、数え年で行われてきた伝統行事である七五三や年祝い(古稀・喜寿など)も数え年・満年齢のいずれで祝ってもよいとされていることが多いです。
この場合、原則として数え年・満年齢のいずれを用いても同じ数字の年齢で行われます。
例外的に還暦については年齢の数字よりも「出生年と同じ干支の年」であることが重要と考えられており、結果的に数え年61歳、満年齢60歳という異なる数字の年齢となります。
一方、厄年には数え年を使い、「満年齢」を使うことはほとんど有りません。
なお葬祭の際に記す「享年(行年)」は仏式や神道では数え年が使われますが、現在では満年齢が使用されています。
「一周忌」を除く、「年回忌」の数え方は現在も数え年に準じています。

4.「数え年」を再び考える

話は西洋、イエス・キリストに飛びます。 「イエスの誕生日」の日付は、聖書には記されていません。
12月25日をイエス・キリストの降誕とする最も古い記録は、354年のローマの『年代記』に出てきます。
「12月25日、ユダヤのベツレヘムでキリストが生まれる」という記述です。
12月25日をイエス・キリストの降誕と定めた経緯に関し、いくつかの仮説があります。

計算上の仮説では、イエスの受難の日とマリアへの受胎の日が同じ日であったと考えた上で、その日を3月25日であったとするものです。
これに基づいて、受胎の日から9か月後の12月25日にイエスが生まれたとしています。

マリアへの受胎の日が注目されるのは、イエスの降誕と関連があるからです。
もし受胎がなければ、イエスは降誕しない、という関係にあります。

人についても同じで、誕生日は、この世に生まれ出た日ですが、それ以前の「受胎」の段階で、生命は誕生して成長しています。
誕生日はこの世との関係で決まりますが、「受胎」という生命の誕生の瞬間は絶対的です。
早産の時は、予定より早く誕生日を迎えます。 また死産の場合は、この世に出た時点では命が失われています。
でも、生命は、「受胎」の瞬間に母体に宿され、誕生していたのです。
この世に誕生せずとも、生命は既に誕生している、と考えるべきではないでしょうか?
レオナルド・ダビンチの「受胎告知」の絵画は、「受胎」の瞬間を象徴的に伝えています。



生命の意義を考えると、人は「受胎」の瞬間に「0歳」となり、誕生により「1歳」となると考える方が良いのではないか?

「真年齢」=受胎の時点を0歳とし、生まれた時点の年齢を1歳とし、以後誕生日が来るごとに1歳を加算する方法です。



以下のサイトを見つけました。「今一度考えたい「数え年」の意味」です。

[ (132)「数え年」の意味するもの:今一度考えたい「数え年」の意味 ]

この考え方には、色々の反論もあるか、とは思います。でも、もう一度「数え年」を考え直すべき時期と思います。

5.世界での胎児の人権の考え方

日本の法律では原則的に「民法第三条 私権の享有は、出生に始まる。」として権利・義務が制定されています。

この考え方は、「出生」をもって権利主体とする考え方は、「国連人権宣言」にも共通しています。

世界人権宣言:第1条:すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
人間は理性と良心を授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

でも、世界には、憲法で胎児の人権を認める国もいくつかあり、その例は以下の通りです。

①. チリ:第19条第1項:この法律は、生まれそうになる人々の命も守る。

②. ドミニカ共和国:第37条:生命の権利は、受胎から死まで不可侵である。
いかなる場合でも、死刑を制定、宣言、適用することはできない。

③. エクアドル:第45条:子供と青年は、すべての人間に共通の権利のほかに、その年齢に相応しい特殊の権利も享受できる。
国家は受胎時からのケアと保護などを通じて、生命を認識・保証する。

④. エルサルバドル:第1条:同じように、エルサルバドルは受胎の瞬間からすべての人間を人間として認識する。

⑤. グアテマラ:第3条:国家は、人間の生命を受胎から保証・保護するだけでなく、その完全性と安全も保証する。

⑥. ハンガリー:第2条:人間の尊厳は不可侵なものである。
すべての人間は、生命と人間の尊厳に対する権利を有する。
胎児および胎児の生命は、受胎の瞬間からの保護の対象となる。

⑦. ホンジュラス:第67条:胎児は、法律の定まった範囲内で認められるすべての権利を有し、生まれた人と同等に見なされるべきである。

⑧.マダガスカル:第19条:国家は国民の連帯の能力から生じた無償の公的医療組織を通じ、すべての個人に対して、受胎から人間の健康を保護する権利を認識・組織する。

⑨.ペルー:第2条第1項:すべての人間は彼の生命、アイデンティティ、道徳的・精神的・肉体的完全性、自由な発達と幸福に関する諸権利を有する。
胎児は、彼に利益をもたらせるすべての場合において、権利を有する主体である。

⑩. フィリピン:第2条第12項:国家は家族生活の神聖さを認識し、基本的な自律的社会制度として家族を保護・強化すべきである。
また、母親の命と受胎からの胎児の命を概念から等しく保護しなければならない。
市民社会の効率性と人格の発達のために、若者の養育に当たる親の自然かつ主要な権利と義務は、政府の支援を受けるべきである。

⑪. スロバキア:第15条第1項:誰も生存の権利を持っている。人間の生命は、出生前でも保護される価値がある。

「真年齢」の考え方は、胎児の人権を認める前提となるかもしれません。

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